
私たちの業界には色々めでたい事やお世話になったりとそん事があるとご祝儀などという物が出されるのです。こいう時大抵が小僧で入った者の特権としてこのご祝儀を戴けるのです。私がこの世界に入って速いものでもう29年目になります。確か当時初任給は4万円ほどと記憶しております。私の場合他に弟子もおりませんでしたのでご祝儀の殆どを戴く事ができました。
そして、実兄の営むすし店でしたので身内ゆえの居心地の良さがありましたし、まだそんなに遊びも知らない内は全部貯金する事も出来た訳ですが…何故か残す事ができませんでした。修行に入った昭和48年日本経済はまさに右肩上がりの成長をして行くのですが、この時代は本当に面白かったですね。冒頭にも書きました様に良くお客様からご祝儀を戴けたのです。
『若い衆にやってくれ。』
そ言っておつりなどを下さいました。当時でも千円単位のご祝儀がありましたね。多い月になると2万円ちかくなる時もありましたよ。ですから、【この世界はいいもんやなあ~】とつくづく思いました。でもそれはお客様が私の将来を期待して『おまえしっかりやれよ。との気持ちの入ったお金なのです。こいうお客さまには人一倍の接客をさせて貰いました。でもそれも何時も出来たらいいのですが出来なかった時にはお客さまからしっかりとお説教があるのでした。厳しく叱って下さったお客さまには心から感謝しております。
修行も何年か経ち車の免許も取り、お客さまの送迎と言った事も大切な修行になります。美容室の先生には特に大事にして戴いたのを憶えております。忘れられない思いでにこんな事がありました。最後になりますが、それは今から17年ほど前の事になります。修行してた店で大将が日頃ひいきにして戴いてるお客さまを集め、店主催のゴルフコンペがあった時の事です。今ほどに飲酒運転もそんなに厳しく言われる時代ではない頃の話です。
ゴルフが終わるとそのまま店に来て戴きパーティーが始まるのです。運動された後ですから、皆さんよく食べよく飲まれるのです。それでもほとんどの方がご自分のお車で帰られるのですが、中にはすっかり酔ってしまわれお車の運転ができない様な方もおられます。そんな時私の登場となる訳です。40分もかかる所から来て戴いてるお客さまを車に乗せお送りしたのです。助手席ではすっかり夢ごこちのお客さま…やがてお客様のご自宅に着くとお客さまを起こして家に送り届けるのです。この時お客さまは眠そうにしながらでも私に気を遣ってくださいまして、
『遠いところ悪かったなあ~』
と言われご祝儀を私の白衣の胸ポケットに入れて我が家の門へと消えて行かれました。暗闇の中で戴きましたので全然わからなかったのですが、帰りの道中に胸ポケットを確認する事にルームライトをつけて見ればそれは何と
1万円札!
だったのです。こんな大金貰っていいのでしょうか?店に帰りその事を大将に報告すると『喜んで貰っておけ』と言ってくれました。ありがたく頂戴する事にしました。いや本当に良い時代でした…でも気になるのです。お客さましっかり酔っておられましたので千円札と間違って出されたのかも…この答えがいまだに出せずにおります。はてさてあなたはとちらだと思います…
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さて今回は出前先でのエピソードについてお話しましょう
出前先のお宅は0さん、この地方には良くあるご名字です。この0さん宅であった事件です。0さん宅はとても大きなお百姓さんをやっておられるのです。場所は畑の山を越えたらもうそこは鈴鹿サーキットという所、皆さん鈴鹿サーキットと聴くとちょっとした街を想像される方も多いかと思いますが、いわゆる西コースの方は本当に山の中にコースがあるのです。
話を元に戻して、その0さん宅ここはまさに陸の孤島と呼ぶに相応しい山深い所、本当に一軒家なのです。 さて、事件とは前日に出前をとって戴いたのでその器を回収にお邪魔した時の事です。
『すみませ~ん、すし幸ですが~。』と大きな声で玄関に入ったのであります、でも返事がないのです。
確かにお家にはどなたかがおられる気配がするのです。このへんは永年の勘という物です。もう一度大きな声で呼ぶ事になりました……でもやっぱり応答がないのです。午前中(AM10:00頃)このあたり家の人もう畑に行っておられないのでしょうか。しかし、誰かおられる気配がしてるんです。そうだ家の中におられなかったら外にみえるのではないかと思い、外に出てみる事にしました。玄関を出て早速に家の周りを探す事になったのです、するとなんと玄関のすぐ右となりの日当たりのいい部屋で お爺さんが新聞を読んでおられるのでした。
『あっ、やっぱりみえたのか。』
さすがに私の勘は当たっておりました。でも、よほどに新聞に集中されておるのか私の事など全然気が付いて下さいません。これは困ったことです、なんとか気が付いてもらわねばと、大きなサッシのガラスを叩く事になったのです。それでもまだ気が付いては貰えません。そこでちょっと強行ではありましたが今度はガラス戸を開けてみる事に…鍵はやっぱりかかってはおりませんでした。すぅと開くのでした。外のヒンヤリとした風にそのお爺さんはやっと私の存在に気が付いて下さいました。
気が付いて貰ったまでは良かったのですが、さあこれからがとても大変でした。どんなに大変だったかこの後をよ~く読んで下さい。そのお爺さんに向かって大きな声で『あのお!すし幸なんですけど!』と、するとお爺さん『えぇえぇ????』そうですお笑いタレントの志村けんさんが良くやる爺さんの物まね、まさにそれを地で行ってるお爺さんを思い浮かべて下さい。右手を耳にあてがい
『耳が遠いでな大きい声で言ってくれんか。』
とそんな返事が返ってきました。 では、リクエストに応えてとばかりに今度は畑中に響き渡る様な声で『すし幸です!!』と叫んでみました。でも、それでも聞こえなかったとみえて『はぁ~?』との返事。これは困ったものだとこんなに大きな声が聞こえないのです。寿司やはいつも大きな威勢のいいのが取り得なのですがいやぁまいりました。 ならば新聞の文字が読めるのならこれは読めるだろうと、寿司やの制服であります白衣の胸ポケットに刺繍で【すし幸】と書いてあるのです。それを指でさして
『すし幸です!』と言ったのです。するとやっとの事で分かって貰えたのかお爺さん今まで眉間にしわを一杯造っておられたのが穏やかな顔になられて
『あああ…尾崎さんかな?』
あぁぁぁぁぁぁぁ全然違う!!(私は生まれた時から尾崎さんの姓ではないのです)またしても分かって貰えなかった。 それなら最後はこれとばかりに出前の車からメモを持ってきまして、メモ一杯に【すし幸です】と書いたのでした。 暫くの沈黙の後お爺さん 『あぁぁ寿司やさんかな?』と言って下さいました。やっとやっと分かって貰えたのです。 こんなに自分の店を分かって貰えるのに時間がかかったのは初めてです。
お爺さん分かって貰えたので『ちょっとまっとくれよ。』と台所の方でしよう、奥の部屋へと消えて行かれました。 あぁぁぁぁぁこれで帰れると安堵しておりましたら、今度はなかなか 戻ってこられないのです。探しておられる音は 聞こえておるのですが、5分が過ぎ10分過ぎた頃ようやく戻ってみえて………でも、お爺さん全くの手ぶらなのです
お爺さん曰く『あのなぁ、わし一生懸命探したんやけど分からんで明日また来ておくれ。』 の返事でした。 この0さん宅に着いてから30分、結局のところ私はこの山の中の一軒家から手ぶらで帰ることになりました。 本当に疲れた一日でした。
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さて今回も知られざる寿司屋の世界にご案内致しましょう
私の修行しておりました店の大将にはふたりの娘がおりまして、今回は次女のお話を書く事にしましょう。本人には了解がとれてますのでその子(私の姪っ子にもなります)が高校生の頃のお話です。確か土曜日だったと記憶しております。今の様に週休二日ではない頃の話になります。学校を終えて姪っ子が家に帰ってくるなり『お腹すいた~』と第一声、この年頃は色気より食い気なんでしようね。
この日のご飯は私の下で働いていた弟弟子が握った寿司を全員で食べたのてした。のんびりテレビ鑑賞をしてる時でした。で、姪っ子は不機嫌そうに『私の分もないの~』と言うのです。すかさず大将が『好きなもん造って食べとけ~』と、つまりは、カウンターに立って寿司を造れと姪っ子に言うのでありました。
すると姪っ子は 『お父さんなんでもいいのお~』と大将もテレビを見るのに忙しく『ええよ~』と返事をしてしまったのです。皆がテレビを見てる間姪っ子は一人でカウンターに立ち鼻歌なんぞを歌い乍、自分で食べる寿司を造っておりました。この辺やはり寿司屋の子供という者は手取足取り 教えなくても結構器用に造る物なんです。さすがな物はありますよ。いずれの商売やさんに生まれた子供というのは小さな頃より親が仕事をする姿を見てますからね。
で、暫くすると姪っ子は嬉しそうに出来上がったばかりのちらし寿司を持って皆がいる厨房に現れたのです。『あ~出来た出来たっと!』と実に満足そうに言うのです。それを見て皆は息の止まる様な衝撃を憶えました。大将も目がすっかり点(懐かしい言葉ですね)になって言葉をなくしておりました。そのちらし寿司のまあ豪華な事、皆唖然とするほどの物でした。しゃりの上に乗っている物は
【トロ・ウニ・イクラ・赤貝・白身・蟹・いか・数の子】とまあ特上寿司に使うネタばかりです。しかも綺麗に盛り付けられているのです。思わずさすがだと言いたいところですが、これに感心してる場合ではないのです。物はまかないご飯なんですから、商品に手を付けるのは業界のルールから言っても明らかな違反なんです。
やっとの事で大将も我に返り姪っ子に『なんやこれは!!』と大きな声で叱ったのでありました。すると姪っ子も『だってお父さん好きなもん造れって言ったやないの!!』と返す刀で言ったのです。さすがに大将も負けです。しょげておりました。
ことわざに《門前の小僧教をとなえる》というのがありすまが正にこの事件がその良い例と言えましょう。
しかし、見事でしたよ。姪っ子の造ったちらし寿司は、立派に商品として お出し出来る様な仕上がり具合でした。美味しかったかどうかは姪っ子の食べ終えた後、至福の時と言わんばかりの顔が物語っておりました。
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さて、今回も知られざる寿司屋の世界にご案内致しましょう
私の修行しておりました店の大将にはふたりの娘がおりまして、今回は長女のお話を書く事にしましょう。本人には了解がとれてますのでそれは今から20数年前の事になります。姪っ子たちは近所でも評判の仲の良い姉妹として知られておりました。ある日の事その姪っ子たちが店のお客さまから誘いを受けたのです。『今度の日曜日おじさんがボート見に連れて行ってあげるから行かへんか』
と言われたのです。二人がまだ小学生の低学年だったと記憶しております。すし屋は週末が忙しいものですから親が遊んであげる事がなかなかできないのです。このへんお客さま商売の子供とは可愛そうな部分があります。そんな訳ですから子供たちにとってはなんともありがたいお誘いだったのです。
常連さんで大将夫婦も個人的に付き合いのあるお客さまですから直ぐにお許しが出たのです。そして、その一週間後約束の日が来たのでした。お迎えの車はアメリカ製のマーキュリークーガーという6000ccの超豪華な外車です。この時代どこのすし屋でも自動車と言えば軽四自動車が一台あるだけで営業車でありまた、自家用車でもあったのです。ですから子供たちにとっては初めて乗る高級車、そして、外車ですからそりゃあもう遠足気分で出かけて行きました。
この話にはおちがありましてお客さまがボートと言って下さったのは実は競艇のボートだったのです。こちらはお客さまの趣味を知っておりますので分かってましたけど。夕方にお客様と一緒に帰ってきた子供たちはとても満足げでした。そして、上の姪っ子がえらく興奮をして下の姪っ子に『平田屋さんに行こ!』というのです。平田屋さんというのは歩いてすぐの雑貨屋さんです。子供たちはよく駄菓子を買いに行ってる店です。
そして、しばらくして子供たちが帰ってきたのですが、なぜか平田屋さんのおばさんが付いてこられたのでした。おばさんは困った顔で『実はこの子たちこれでお菓子頂戴と言ってきたの』というのです。差し出したおばさんの手にある物はなんと競艇のはずれ舟券件だったのです。賢明に説明したのですが子供たちには理解して貰えずこうしてお邪魔したと言うことでした。
なんて純真無垢な心でしょうか。子供たちは競艇場でお客様の後を金魚のふんの様に付いて歩き舟券がお金と一緒の価値があると思ったのでしょうね。良くお客さま商売の子供はませると言われますか確かに他の子供さんと比べれば大人と接する機会はたくさんありますね。こいう意味でも子供たちは学校では教えて貰えない社会勉強をしていく物だと思いました。
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さて、今回は出前の帰りに人命救助をしたお話をしましょう
私の修行しておりました鈴鹿はあの有名ブランドのホンダ技研のお膝元、そして、鈴鹿サーキットの街でもあります。そんな鈴鹿を聖地として全国からバイクのレーサー、4輪のレーサーを夢見て若者が集まるのです。そして、鈴鹿の街で働きながらプロのレーサーを目指すのです。実は私の友人の一人もバイクのレースをやっていたのです。そして、レースに関係なく特に独身の若者はバイクの大小とわず持っていましたね。独身者のアパート・寮にはバイクが一杯でした。
かく言う私もおそがけにバイクのとりこになり一時は5台のバイクを所有しておりました。〈全部ナンバー付き〉店に来てくれてたバイトさんもバイク乗りでしたね。とにかくバイクの好きな人間が集まる鈴鹿でのエピソードです。事件というのはお題目にもあります様に私が出前の帰りに信号待ちをしてた時に起こったのです。季節は冬でした。
6時近かったでしょうかもうあたりは真っ暗ライトをつけないないと走られない時間帯です。私の進行方向の信号が黄色から赤色に変わり止まりました。信号左手を見ると一台のオフロードバイクが(ホンダXL250)速く青色に変われ~!といわんばかりにアクセルをふかしておりました。
『お~気合い入っとるな~!』
と私は見ておりました。そして、信号が青に変わるとそのオフロードなんとウイリーをしてスタートするではありませんか今だその光景ははっきりと記憶しておりますがかなり腕のたつ御仁とお見受け致しました。おそらくオフロードのレースをやってる程の高いレベルのテクニックです。そうですね200メートルくらいはウイリーをして元気に走って行きました。
『ここまでやってくれる!久し振りに超美技を見せて貰ってありがとう!』
と感心して見とれておりました。しかし、これからからが事件の始まりなのです。200メートルくらい走った所でアクセルワークが乱れたのでしょうか突然フロントが上がりすぎ右側側面をアスファルトに叩きつける様に転倒したのです。右のステップが路面にこすれて火花も見えました。
『あっ!こけた!』
なんかこのまま放ってはおけず…本当は信号を直進して店に帰る筈なのすが右折してその若者の側へと車を走らせました。バイクは未だ道路に倒れたまま、慌てて車から降り
『大丈夫ですか!』
と声を掛けると『あ…すみません…』と気丈な声で返事がありました。どうも右足首を怪我した様で歩道の縁石に腰を掛けてうずくまっておりました。とりあえずバイクを歩道に移動してハンドルロックをしてキーを抜いてその若者に渡すとなんと履いているバスケットシューズが血まみれでした。見れば足首内側の怪我の様です。これは一大事と判断しいつも出前を取って下さる整形外科の病院がすぐ近くにあるのを思い出しその若者に肩をかして車に乗せてその病院まで運んであげました。
その病院も外来の仕事は終わり受付も明かりが消えておりましたが玄関は開いておりました。流石に救急治療をやってる病院です。『すみませ~ん急患なんですけど!』するとナースステーションの看護婦さんが出てきてくれまして『すし屋さんどうしたの?』と顔見知りの看護婦さんでした。事情を説明して直ぐに処置して下さると返事を貰い安心してその若者を病院に預け店に帰ったのでした。
後日その話をバイトに来てくれてる者に言うと何やら話が合ってくるのです。聞けば会社の同僚に最近バイクで事故をした者がおり事故現場というのは私が救った若者の現場で時間帯もバイクも一緒……?その若者の提出した事故報告によるとバイクで走行中ネコが飛び出て来て避けるつもりでハンドル操作を間違えて転倒したとの事。
職場の者達は『あいつはレースをやってるからネコくらいでこける訳がないばすや』ともっぱらの話になっておった様です。私の勘は当たっておりました。やっぱりレースをやってる若者でした。そうなんです事故を起こした若者とバイトさんとは同じ会社の同僚でした。
そんな事件も忘れていたある日一軒の初めての出前の注文が入ってきました。注文どうりに寿司を私が届けると玄関に出て下さいましたのは可愛いい新婚さんらしい奥様でした。その後ろにには松葉杖をついて右足にはギブスをはめたご主人がおられ『その節はありがとうございました。』とお礼を言われ『えっ?』と思いましたら件のオフロードの若者だったのです。バイトさんが教えてくれたのでしょうね。奥様と丁重なお礼を受けました『大変でしたね、もう大丈夫ですか』とねぎらいの言葉をかけてきました。義理堅い若者に再会出来て嬉しかったですね。今どうされておられるのかなぁ~あの超美技なウイリーもう一度見てみたい気もするのですが……
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